ブロンディチャップリンとリッキーファター

時は40年以上も前の事。
BB5は自主レーベル「ブラザーレコード」を設立します。(それに伴い、キャピトルレコードを離れ、ワーナー・リプリーズと契約を結びます。)そのブラザーレコード新人を発掘しようとして、目に留まったのが南アフリカ出身のバンド「フレイム」でした。アパルトヘイト政策がまだ続いていた時代に「フレイム」(の前身「フレイムズ」)は黒人グループでありながら南アフリカのヒットチャートで初めて1位になったという輝かしい実績がありました。とはいえ、アパルトヘイト政策の厳しい母国での活動は難しく、活動拠点をイギリスに移していました。そしてイギリスでのライヴをたまたま見たカールウィルソンが一目で惚れ込んで、「ブラザーレコード」の新人として契約、「フレイム」は拠点もロスに移します。
70年カールのプロデュースで「フレイム」を発表するも、コケてあっけなくバンドは解散。カールは申し訳なく思ったのか「フレイム」のメンバーだった二人(ブロンディチャップリン、リッキーファター)を、あろう事か「ビーチボーイズ」に加入させます。70年代当時、実質リーダーだったカールは本気でBB5を再生させたかったんだと思います。上の兄(ブライアン、デニス)二人は(鬱だの、アル中だので)使い物にならないのだから、腕のいいメンバーを2人入れるのは、当然の判断だったと思います。ただ「超」がつくくらい白人的なバンドだったBB5に黒人メンバーが加入する事に戸惑うファンは多かったはずです。
アルバム「カール&パッションズ」(71年)、「オランダ」(72年)、「インコンサート」(73年)までメンバーでしたが、相次いでBB5を脱退。BB5は元のさやに戻ります。(一説によると、当時ツアーマネージャーだったマイクラヴの実弟が、二人に対して人種差別的な発言をした事が発端で怒ったブロンディは脱退したとか…。ホントこのラヴ兄弟どうしようもない。)
リッキーファターは脱退後、あのビートルズのパロディバンド「ラトルズ」を結成し、一旗上げます。ブロンディチャップリンもセッションミュージシャンとして、ストーンズのツアーサポート等音楽活動を継続。21世紀に入って「フレイム」も再始動させたりもしているようです。
BB5からチャンスをもらって音楽活動を続ける事が出来た反面、BB5に振り回された音楽人生だったとも言えなくない二人です。
そんなブロンディが昨年の10月、ブライアン率いるバンドのコンサートにゲスト参加!ブロンディが元々リードヴォーカルを担当していた名曲「セイルオンセイラー」を唄っています(感涙)。天国のカールも喜んでいる事でしょう。

Sail On, Sailor - Brian Wilson with Blondie Chaplin

カール&ザ・パッションズ~ソー・タフ(紙ジャケット仕様)

カール&ザ・パッションズ~ソー・タフ(紙ジャケット仕様)

カール&ザ・パッションズ~ソー・タフ(紙ジャケット仕様)

オランダ(紙ジャケット仕様)
オランダ(紙ジャケット仕様)

オランダ(紙ジャケット仕様)

イン・コンサート
イン・コンサート

イン・コンサート