結局何も考えていなかったバンド

ビーチ・ボーイズのすべて (エイ文庫)
作者: 中山康樹

ビーチ・ボーイズのすべて (エイ文庫)

ビーチ・ボーイズのすべて (エイ文庫)

僕がBB5にこんなにはまってしまったきっかけは、以前にもこのブログに紹介した、中山康樹著「ビーチボーイズのすべて」が物凄く大きいです。この本を読む前から、好きなバンドの一つでしたが、この本を読んで低迷期の作品も全て聴いてみたい衝動に駆られました。中山さんの巧みな文章は、ダメな曲に対しては容赦なく呆れたり怒ったりしながら、それでもBB5が好きでたまらないという愛を感じます。(ちょうどこの本にはまったタイミングで旧譜の再発した事も個人的にBB5にはまった理由として大きいです。)

そんな「ビーチボーイズのすべて」から、BB5というバンドを如実に言い表した個人的に大好きな文章。

「ブライアンは天才ゆえに何も考えていなかった。その他のメンバーは天才ではなかったが何も考えていなかった。したがってビーチボーイズというバンドは結局のところ何も考えていなかった。」

年中常夏のカリフォルニアで生まれ育ったBB5と、ビートルズをはじめとする他の大物ロックバンドとの違いは、シリアスや真面目が似合わない、陽気なカリフォルニアン気質による所が大きいと思います。

珍曲「モンスターマッシュ」に於けるBB5の「陽」の象徴、マイクラヴの空気が全く読めない(読まない)パフォーマンス。
Beach Boys - "Monster Mash" (LIVE! December 21, 1963)

 ブロンディチャップリンとリッキーファター

時は40年以上も前の事。
BB5は自主レーベル「ブラザーレコード」を設立します。(それに伴い、キャピトルレコードを離れ、ワーナー・リプリーズと契約を結びます。)そのブラザーレコード新人を発掘しようとして、目に留まったのが南アフリカ出身のバンド「フレイム」でした。アパルトヘイト政策がまだ続いていた時代に「フレイム」(の前身「フレイムズ」)は黒人グループでありながら南アフリカのヒットチャートで初めて1位になったという輝かしい実績がありました。とはいえ、アパルトヘイト政策の厳しい母国での活動は難しく、活動拠点をイギリスに移していました。そしてイギリスでのライヴをたまたま見たカールウィルソンが一目で惚れ込んで、「ブラザーレコード」の新人として契約、「フレイム」は拠点もロスに移します。
70年カールのプロデュースで「フレイム」を発表するも、コケてあっけなくバンドは解散。カールは申し訳なく思ったのか「フレイム」のメンバーだった二人(ブロンディチャップリン、リッキーファター)を、あろう事か「ビーチボーイズ」に加入させます。70年代当時、実質リーダーだったカールは本気でBB5を再生させたかったんだと思います。上の兄(ブライアン、デニス)二人は(鬱だの、アル中だので)使い物にならないのだから、腕のいいメンバーを2人入れるのは、当然の判断だったと思います。ただ「超」がつくくらい白人的なバンドだったBB5に黒人メンバーが加入する事に戸惑うファンは多かったはずです。
アルバム「カール&パッションズ」(71年)、「オランダ」(72年)、「インコンサート」(73年)までメンバーでしたが、相次いでBB5を脱退。BB5は元のさやに戻ります。(一説によると、当時ツアーマネージャーだったマイクラヴの実弟が、二人に対して人種差別的な発言をした事が発端で怒ったブロンディは脱退したとか…。ホントこのラヴ兄弟どうしようもない。)
リッキーファターは脱退後、あのビートルズのパロディバンド「ラトルズ」を結成し、一旗上げます。ブロンディチャップリンもセッションミュージシャンとして、ストーンズのツアーサポート等音楽活動を継続。21世紀に入って「フレイム」も再始動させたりもしているようです。
BB5からチャンスをもらって音楽活動を続ける事が出来た反面、BB5に振り回された音楽人生だったとも言えなくない二人です。
そんなブロンディが昨年の10月、ブライアン率いるバンドのコンサートにゲスト参加!ブロンディが元々リードヴォーカルを担当していた名曲「セイルオンセイラー」を唄っています(感涙)。天国のカールも喜んでいる事でしょう。

Sail On, Sailor - Brian Wilson with Blondie Chaplin

カール&ザ・パッションズ~ソー・タフ(紙ジャケット仕様)

カール&ザ・パッションズ~ソー・タフ(紙ジャケット仕様)

カール&ザ・パッションズ~ソー・タフ(紙ジャケット仕様)

オランダ(紙ジャケット仕様)
オランダ(紙ジャケット仕様)

オランダ(紙ジャケット仕様)

イン・コンサート
イン・コンサート

イン・コンサート

 50周年BB5ライヴインジャパン動画。

The Beach Boys 2012 Live In Japan [FULL SHOW]

凄いなあ…。何が凄いってバックを支えた「ブライアンウィルソンバンド」のメンバーたちがです。5人のおじいちゃんたちの前に出すぎないように、でも演奏はきっちりと。特にファルセットを担当したジェフリーフォスケットは唄い甲斐があっただろうな。
意外だったのはデイヴィッドマークスのソロギターがしっかりしていた事です。ベンチでアップして体を温めて、いつかBB5のお呼びがかかるだろうと練習積んでいたんでしょうか。まさか50年の月日を経て出番がやって来るとは。(しかもいきなりワールドツアー!)
涙を誘うのは中盤に、他界したメンバー、デニスとカールのウィルソン兄弟に捧げた「フォーエヴァー」「神のみぞ知る」。スクリーンに映される二人の映像に、演奏も唄う事もやめてじっと見入る、長兄ブライアンの姿。(3兄弟の中で一番、死にかけの状態で人生の大半を過ごしたブライアンが最後まで生き残って、しかも21世紀に入って未曾有の大活躍をするという皮肉。)
後半、ブライアンのカットが極端に少なくなったのは、集中力が切れておねむだったんでしょうか。
さほど有名じゃない曲も結構披露してくれていたんで、欲を言えばブルースジョンストンのリード曲(「ディードリ」「エンドレスハーモニー」とか。)も一曲ぐらいあったらバランス良かったんじゃないかな。あの頃の美声はもう出ないか。
そしてヒット曲だけど絶対やらないだろうと思っていたあの曲を、アンコールの頭にやってしまうまさかの無謀な選曲。(映画「カクテル」の主題歌のあの曲は、鬱から脱して制作発表されたブライアンのソロデビューアルバムに、マイクラヴ主導のBB5がわざとかぶせるように同時期に発表したブライアンにしたら因縁の曲。)もう過去の事って事なのか、小っちゃい事は気にしないカリフォルニアン気質って事でしょうか。

ゴッド・メイド・ザ・ラジオ~神の創りしラジオ : ビーチ・ボーイズ

ゴッド・メイド・ザ・ラジオ~神の創りしラジオ

ゴッド・メイド・ザ・ラジオ~神の創りしラジオ

 ちょっと待てAMAZON(怒)パート2

M.I.U. / L.A. Album : Beach Boys

M.I.U. / L.A. Album

M.I.U. / L.A. Album

下記の文章は、BB5の「M.I.U. / L.A. Album 」に対するAMAZONの商品紹介(レビュー)です。

パーティでごった返すフロアを空っぽにしたいなら、ビーチ・ボーイズのなかでも、とくにひどいアルバムをかけることをおすすめしたい。そして、ウン十年たった今も、1978年の「M.I.U」は、その輝きを失ってはいない。ヴォーカルのマイク・ラブは「ラブ・ユー」の成功と独自性に驚き、南カリフォルニアから、まだ知名度がひくいアイオワはフェアフィールドのマハリシ国際大学のスタジオで新しいアルバムを収録した。おなじみの感傷的な曲の数、ポップな感性を使った実体のない軽い音楽はまるで、ラブがバニー・マニロウをリンバウンドに変えてしまったような感じだ。1979年の「L.A.(ライト・アルバム)」に合わせて長い不在から戻ったブルース・ジョンソンは皆のためにもう一回やってみようとことになった。このバンドでひとつ正しいことがあるとすれば、このアルバムが脂肪分ゼロのスープみたいに軽いアルバムだということだろうか。なんせ、「レイディ・リンダ」では、はずかしげもなくバッハをパクり、アル・ジャーディンの「スマハマ」で、日本の猿真似をして、ワイルド・ハニーの「今夜も最高」のリミックスでディスコサウンドにも寄りかかっている。彼らに今必要なのは悪魔が取引と引き換えに奪っていった魂と売れる曲なのだ。「グッド・タイミン」はこのアルバムのハイライトであり、同時にまあまあヒットした曲だが、ブライアン・ウィルソンのクリエイティブ面での影響が全く見られない。これらの2枚だけで判断したら、彼は怒り狂うかもしれないけれど。ともかく、これら過去の2枚が新しく1枚のCDにまとめられたのだ。(ジェリー・マッカリー, Amazon.com)


…アルバム「フレンズ」のレビューのようにレビュアーが無記名ではないのが救いですが、(英訳の問題もあるんでしょうが、)けなしたいんだか褒めたいんだかよく判らないです。でも、まあけなしているんでしょう。
確かに「M.I.U. / L.A. Album 」は諸手を挙げて絶賛できるアルバムではない僕もと思いますが、いい所もあるんだからそこをもっと書いてくれないで購入意欲を下げてどうするんでしょうか。どうして売り手側のAMAZONのレビューがこんな内容のつかみにくい文章なんでしょうか?(ホント載せなきゃいいのに。)
ちなみに、AMAZONのカスタマーレビューの方はちゃんと、例によって愛のあるレビューが掲載されています。
ビーチボーイズを初めて聴いてみようと思った初心者が、いきなり「M.I.U. / L.A. Album 」を購入する訳がありません。BB5のメジャーなアルバムを聴いてはまって、低迷期のアルバムにも愛を感じる事が出来たファンが最後の一枚として購入するのが「M.I.U. / L.A. Album 」だと僕は思っています。

でも、これだけは書いておきたいんですが「M.I.U. / L.A. Album 」の頃のブライアンは実は奇跡的に復調しているんです。勿論若かりし頃の綺麗なファルセットはもう出せないですが、アルバム「15ビッグワンズ」の頃のがらがら声では無いという事が、実はあまり語られていないです。下の動画は「M.I.U.」収録の「Match Point of Our Love」を聴いてください。長いうつ状態から奇跡的に脱して、ようやくベッドから出てきたブライアンの味わい深いリード。(この後結局またベッドに戻ってしまうんですが…。)そしてBB5にしかできない鉄壁のコーラス!

Match Point of Our Love - Beach Boys

 低迷期における過去の楽曲の断片を挟み込む粋な曲。

70年代も後半になると、BB5の置かれる立場はいわゆる「AN AMERICAN BAND」と呼ばれるようになった事からも判るように、よく言えば「大御所」、悪く言えば「第一線からは退いた過去のバンド」になってしまいました。
ウィルソン3兄弟の長男でリーダーだったブライアンはもう10年近く、ドラッグアルコール過食等で精神的に破綻状態から抜け出せず(たまに復調もしますが、)、二男デニスは、ソングライティングに目覚めるも、バンドより自身のソロ活動に気持ちがシフトしてBB5に対する気持ちが薄れ、そして彼もまたドラッグアルコールに溺れてしまいます。
70年代の低迷期のBB5を実質けん引していた三男カールは、新メンバーを入れたり、路線を変えたり、BB5の改新に乗り出すも結果が出せず、逆にべストアルバム(「エンドレスサマー」「スピリッツオブアメリカ」)がミリオンヒットした事で、世間が「変わらない古き良きBB5」を求めている事を知って、リーダーシップをとる事をやめるようになります。

メンバーのアルジャーディーンがプロデュースした77年「MIUアルバム」、一時離脱していたメンバーのブルースジョンストンが復帰してプロデュースした78年「L.A.(light album)」はそんな時期のBB5のアルバムです。この2枚に収録されている下の三曲は過去のBB5の曲の断片を挟み込むことで、新曲でありながら古くからのファンも納得し感動させることに成功していると思います。(新しいファンをつかむ事には繋げたれなかったみたいですが…。)低迷期にあって輝く楽曲だと思います。

beach boys kona coast
(サビのコーラスが「夢のハワイ」(63年)です。)

The Beach Boys-Good Timin'
(終盤に「サーファーガール」(63年)のメロディが顔を出します。まさにグッドタイミング!)

The Beach Boys - Winds of Change
(終盤にデニス作の名曲「フォーエヴァー 」(69年)の歌詞がコーラスに。この6年後のデニスの他界を予言していたかのような曲のセレクト。)

M.I.Uアルバム : ザ・ビーチ・ボーイズ

M.I.Uアルバム

M.I.Uアルバム

L.A.(ライト・アルバム) : ザ・ビーチ・ボーイズ

L.A.(ライト・アルバム)(紙ジャケット仕様)

L.A.(ライト・アルバム)(紙ジャケット仕様)

M.I.U. / L.A. Album : ザ・ビーチ・ボーイズ(2in1 CD)

M.I.U. / L.A. Album

M.I.U. / L.A. Album

 「レジェンダリーデモ」のオリジナル曲。

キャロルキング「レジェンダリーデモ」

レジェンダリー・デモ

レジェンダリー・デモ

職業作曲家だったキャロルキングの、アーティストに曲を提供する際のデモテープが40年以上の時を経て、世に出たものが「レジェンダリーデモ」です。こんなレベルの高いデモテープを持ってこられたら、歌手の皆さんもさぞかしプレッシャーだった事でしょう。

1. Pleasant Valley Sunday (1966; covered by The Monkees)

2. So Goes Love (1966; covered by The Turtles)

3. Take Good Care Of My Baby (1961; covered by Bobby Vee)

4. (You Make Me Feel Like) A Natural Woman (1967; covered by Aretha Franklin)

5. Like Little Children (1966; covered by The Knickerbockers)(動画無し)
6. Beautiful (1970)

7. Crying In The Rain (1962; covered by The Everly Brothers)

8. Way Over Yonder (1970)

9. Yours Until Tomorrow (1966; covered by Vivian Reed)


10. It's Too Late (1970)
11. Tapestry (1970)

12. Just Once In My Life (1965; covered by The Righteous Brothers)


13. You've Got A Friend (1970)

14. Every Breath I Take

15. Oh No, Not My Baby

 ポールヤングの名カヴァー

EVERY TIME YOU GO AWAY . PAUL YOUNG

オリジナルはダリルホール&ジョンオーツのアルバム「モダンヴォイス」(80年)の収録曲。シングル曲でもないこの曲を85年に、ポールヤングがカヴァーして大ヒット。彼の出世作となります。オリジネーターホール&オーツも(作ったときは気づかなかったけど、)案外いい曲じゃないか。と思ったのか、ポールのヒット以降、ライヴのレパートリーに入れたり、ベスト盤に収録したり…。こういうカヴァーこそ良いカヴァーだと僕は思います。目立たなかった名曲に突如スポットライトが当たる感じ、曲も喜んでいる事でしょう。

ちなみにホール&オーツのオリジナルがこっち。
Daryl Hall & John Oates - Everytime You Go Away


The Secret of Association : Paul Young

The Secret of Association

The Secret of Association

モダン・ヴォイス : ダリル・ホール&ジョン・オーツ
モダン・ヴォイス

モダン・ヴォイス

ポールヤングの近影。58歳だそうです。歳取ったなあ…。