相次ぐ脱退と、完璧なラストピース。

前回の続き(前回って11月29日です。)
イアン、ジョン、アンディ、ピートにレニが加わって体制が固まってきたと思われた「ザ,ストーンローゼズ」。しかし!!


アンディーカズンズの脱退。
バンドのマネージャーとなったギャレスエヴァンスは、イアンとジョンをバンドのツートップと考えていました。それをもう一人のギタリスト、アンディカズンズが面白く思わないのは当然でした。この頃ギャレスとアンディは口論が絶えなかったそうです。
そして決定的だった出来事が、これから出す曲の作詞作曲を全て「イアン&ジョン」名義にするというバンドの方針決定でした。
「ジョン&ポール」「ミック&キース」そしてジョンスクワイアにとってギターを持つきっかけだったパンクバンド、クラッシュの「ミックジョーンズ&ジョーストラマー」。偉大なロックバンドには核となるソングライティングコンビがいます。それに事実それまでのローゼズ楽曲はイアンとジョンが作ったものでした。
この名義問題は、印税とかギャラにも当然反映されます。金銭の問題じゃなく、あくまでソングライティングがしたかったアンディは、この事が決定打となってバンドの離脱を決めます。(その後、アンディは自身がリーダーのバンド「ザ,ハイ」を結成、メジャーデビューします。)実はこの時アンディ側についたのは、同じくソングライティングに興味があったレニ。ここでレニの離脱の可能性もありましたが、最終的にバンドに残る事を決めます。

ピートガーナーの脱退。
4ピースバンドになったローゼズは87年にインディーズレーベル、リヴォルヴァーFMからシングル「サリーシナモン」を発表。(プレスはわずか1000枚。)ゆっくりとでも着実に人気をつけて行ったローゼズ。ですが、もともと天才肌のドラマー、レニと、めきめきテクニックが向上して、今や伝説のギターヒーローと肩を並べるギタリストになりつつあったジョンの二人に対して、ベーシストのピートガーナーの実力が釣り合っていないという事を、バンドは気づいていました。そして誰よりそれを痛感していたのが、ピート本人でした。ピートはバンドの脱退を申し出ます。

マニの加入。
ピートの後釜は探しは難航します。マンチェスターのバンド、インスパイラルカーペッツ(―彼らとローゼズとハッピーマンデイズで「マンチェ御三家」とか言っていたのは日本だけでしょうか?)のクリントブーンはある日イアンとジョンに「ベーシストを探している。」と相談を受けたそうです。運命はその翌日、クリントは街でマニのお兄さんのグレッグにばったり会い、そこで「ローゼズがベースを探しているみたいだけど…、」と。グレッグは答えます。「ああ、マニなら今ヒマだよ。」その日の夜にジョンが電話でマニへ「来いよ。」とラヴコール。マニも「ローゼズの連中は昔からの友だちだし、応援していた。いっちょやってやるか。」と乗り気。マニはベーシストとしての実力は勿論、人柄も含めて明らかに適任でした。ここに完璧な4ピースが遂に揃う事になります。

ここからはとんとん拍子でイギリスを制覇。いよいよ伝説が始まります。

ザ・ストーン・ローゼズ・ストーリー 誕生と、解散と、復活と。

ザ・ストーン・ローゼズ・ストーリー 誕生と、解散と、復活と。

ザ・ストーン・ローゼズ・ストーリー 誕生と、解散と、復活と。