敵か味方かギャレスエヴァンス

ローゼズの歴史の中で、いい意味でも悪い意味でも影響力のあった人物が、86年というローゼズにとっての転換期にマネージャーとなったギャレスエヴァンスという男です。60年代から音楽業界にいる野心家で、ギャレスにアプローチしたのはローゼズ側ですが、ローゼズを一目見て、こいつらは売れる(カネになる。)とギャレスも快諾。多額の契約金をローゼズに支払って、その代わりに支配的な地位を手に入れます。
彼がただのマネージャーではないのは、マンチェスターのクラブ(後にライヴ会場に変わる。)、インターナショナル1、インターナショナル2を経営していたという事です。まだアマチュアだったローゼズはこのクラブを練習場としてただで使い放題に使えるようになります。当然PA機器もフル装備のクラブなので、アマチュアバンドにはありえない緻密なリハを重ねて、テクニックが格段に上昇していきます。
初期における彼の功績はそれだけではありません。5000枚の無料チケットをマンチェスター中の若者たちにばらまくという尋常ではない行動に出ます。街をギターを抱えて歩いているようなキッズに配りまくった事で、マンチェスターでのローゼズの認知度はグンと跳ね上がります。(元オアシスのノエルギャラガーも無料チケットを受け取った一人。)
他にもレコード会社や地元メディア電話をかけまくり、デモテープをいたるところに郵送しまくり。ギャレスには自信と確信があったのでしょう。

リヴォルヴァーFMというレコード会社と契約を結んで87年、シングル「サリーシナモン」で遂にデビュー。この後のバンドの快進撃、伝説となったスパイクアイランドでのライヴに尽力したのもギャレスでした。

彼らの成功に一役も二役も買ったのがギャレスエヴァンスですが、ローゼズとシルヴァートーンとの移籍をめぐる裁判の中で、ギャレスはローゼズに支払われるべきギャラの3分の1を受け取っている事や、ローゼズと10年間マネージメント契約をしている事などが明るみとなって、ローゼズとの関係も険悪に。
裁判に勝訴して大手レコード会社ゲフィンと契約したローゼズですが、険悪になったギャレスを92年に解雇します。それに対してギャレスも訴訟で応酬。

ギャレスエヴァンスの破天荒で型破りなマネージメントは、賛否両論ありますが、ローゼズの伝説を語る上で欠かせない人物です。

ザ・ストーン・ローゼズ・ストーリー 誕生と、解散と、復活と。

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