「パトロール」から「ストーンローゼズ」まで
繰り返し繰り返し熟読中の「ザ・ストーン・ローゼズ・ストーリー」。アマチュア時代のバンドのメンバーの遍歴がごちゃごちゃしててややこしいので、自分が自分の頭を整理するために(自分の為に)まとめます。
ザ・ストーン・ローゼズ・ストーリー 誕生と、解散と、復活と。
ザ・ストーン・ローゼズ・ストーリー 誕生と、解散と、復活と。
- 作者: ジョン・ロブ,小林正臣,沢田太陽,藤波真矢
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2013/08/07
- メディア: 単行本
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「パトロール」
イアンブラウンがベース、ジョンスクワイアがギター、同級生のサイモンウォルステンクロフト(愛称サイ)がドラムスで80年に組まれた最初のバンドが「パトロール」。これに転校生のアンディカズンズがヴォーカルで加わる。
イアンとジョンの幼馴染みでひとつ年下のピートガーナーがバンドのローディーをするようになります。曲によってイアンがヴォーカルで、アンディがベースの時もありました。サイが後の「スミス」のジョニーマーとつるむ事が多くなるとピートがベースで参加するようにもなりました。徐々に各パートが固まってイアン(vo)、ジョン(g)、アンディ(g)、ピート(b)、サイ(ds)のラインナップになった所で、イアンがバンド活動に飽きてそのまま「パトロール」は自然消滅。
イアンはスクーターにはまりスクータークラブ(暴走族的なもの?)であちこち走り回っては、喧嘩したり仲間を増やしたりしています。この頃マニともスクーターを通じて仲良くなります。(マニはマンチェスター北部出身で、「パトロール」の面々は南部。)それから後でわかる笑い話ですが、イアンのスクータークラブは後のハッピーマンデイズのメンバーたちと喧嘩していたらしいです。イアンのスクータークラブ時代は一見無駄な時代のようで、ネットワークを広げる事に役立っています。もちろんイアンの人柄の良さが、その後ローゼズの活動を、このかつてのスクーター仲間たちが応援、後押しした事は言うまでも無いでしょう。
さて、イアンがバンドに興味を失っていた頃、ジョンとアンディはまたバンドやりたいね、と名も無きバンドを始動。ヘイル出身のドラマー、「名前は確かガイだったかな。」(アンディ談)そのガイは続かず、リム出身のドラマーヘイトが加わります。(彼も多分長くは続かなかった様子。)
「ファイヤーサイドチャップス」
リハーサルを重ねながらバンド名を「ファイヤーサイドチャップス」とした頃に、マンチェ北部でアマチュアバンドを転々としていたマニことギャリーマウンフィールドがベースで加入。マニと「ウォーターフロント」というバンドにいたカイザーをヴォーカルで加えます。
「ウォーターフロント」
ジョン、アンディ、マニ、カイザーは新しいドラマーを探し、顔の広かったマニの知り合いのクリスグッドウィンが加入。でもすぐ脱退。バンドはドラマーなしでデモテープ作りを始めだし、バンド名をマニとカイザーがいた「ウォーターフロント」に変更。ジョンが幼馴染みのイアンをリハーサル現場に呼び「ヴォーカルをやらないか。」と誘いイアンが加入。「ウォーターフロント」はツインヴォーカルになります。
活動は思うようにいかず、「ウォーターフロント」は活動休止に。
失業保険でだらだら暮らす日々の中で、ひょんなことでノーザンソウルのドン「ジーノワシントン」がイアンに「お前は歌を歌え!」という鶴の一声で、バンドで飯を食う覚悟を決めたイアンは、まだバンドに未練があったジョンとアンディと再結集します。マニはこの時は他の事(ヨーロッパ中を仲間と長旅中。)で忙しく、ピートとサイが加入。奇しくも「パトロール」のメンバーの再集結となります。
「ストーンローゼズ」
バンド名はジョンの提案で「ストーンローゼズ」となります。ハード(石)とソフト(バラ)という対照的な二つを組み合わせる事で、どんなバンドかを表しています。ちなみに当時「スミス」のメンバーとして有名人だったジョニーマーは旧友のピートからこのバンド名を聞き「駄目だよ、露骨すぎる。」と駄目出ししたという。
今日はここまで!