「STRAIGHT」初版本を買う。

もう、20年以上前の事。田舎の小さな本屋の端の棚に、ひっそりとあった松本大洋さんの「STRAIGHT」。1巻だったか2巻だったか覚えていないですが、その本屋には、どっちか一巻しか置いていなかったです。

その当時の松本大洋さんは、たしかビックコミックスピリッツで「花男」を連載中か連載が終わったくらいの頃。まだ今のように有名な人気漫画家では無く、確か「花男」も次作の「鉄コン」ですら、途中打ち切りになってしまうくらいの、要するにほぼ無名の売れてない漫画家さんでした。でもこの頃「松本大洋」さんは、それまで手塚治虫ばっかり買い集めていた僕が初めて「凄い漫画家だ。」と思った最初の漫画家でした。
「ZERO」を本屋で立ち読みした時の興奮を、僕は忘れることが出来ません。身が震えるのを感じました。これは相当なカリスマが描いている漫画だ、と直感しました。でもそれと同時に、凄いけど世間一般に受け入れられるタイプの漫画家ではないな、とも思いました。(この予想は外れましたが。)
その本屋で「ZERO」を4〜5回立ち読みしたと思います。そして買いました。少ないお小遣いをやりくりしていた子供の頃なのでそのくらい漫画を一冊買うのにも慎重でした。そのくらい慎重に吟味しても、この「ZERO」は僕が買うべき(買ってあげるべき)と思いました。(もう僕の手垢も付きまくっていただろうし。)

話を最初に戻すと、20数年前、そんな松本大洋さんのファンだった僕が田舎の本屋で「STRAIGHT」を見つけたのです。今みたいに情報化の時代ではないのでこれが大洋さんのデビュー作だなんて当然知らなかったです。「へえ、スピリッツの前はアフタヌーンで描いていたのか。」と初めて知ったことに驚きつつパラパラと立ち読み。
「ZERO」の興奮が原体験となっていた僕にとって「STRAIGHT」には同様の興奮はなくて、何よりその本屋には全2巻のうちの一冊しかなかったし、その一冊もすでに色褪せが酷かった事もあって(お小遣いもないし。)結局買いませんでした。(…ああ、後悔。)

時代は21世紀になって「鉄コン」のアニメ映画化に続いて「青い春」「ピンポン」も映画化、押しも押されぬ人気漫画家になった松本大洋さん。(ホレ見たことか。)我ながら「本物」を見抜く眼力の凄さ。(自画自賛)売れない頃も、連載を描き続けさせたスピリッツの懐の深さと、打ち切りを続けながらも、切り捨てず、ずっと担当された堀靖樹さんの熱意がなかったら、今の松本大洋さんはいなかったかも。
とあるインタビューで「STRAIGHT」の再販はないです。といってるのを読んで「しまった!(買っておけばよかった。)」と思い、Amazonを見たら定価よりゼロが3つくらい多い価格。無理だ、買えない…。

…それから更に10年程たって現在、ふとまたAmazonをのぞいたら、なんとゼロが一つ減っている!(様な気がして、)アベノミクスの恩恵はちっとも受けていませんが、勢いで大人買い!(嫁の溜息なんか聞こえない。)

で、ついに手元に届いた「STRAIGHT」全2巻。一読して見て、松本大洋さんが「STRAIGHT」でやりきれなかった事は「ピンポン」まででやれたので再販しない。という意味がよくわかりました。
「ペコとスマイル」「シロとクロ」のように正反対の性格の2人の主人公の対比は「STRAIGHT」も同じです。主人公の蘭四郎と後半に登場する怪物バッター、ロブロイとの勝負は「ZERO」の五島雅とトラヴィスバルの勝負と同じです。「鉄コン」の頃くらいまで頻繁にあった魚眼レンズで覗いたような構図も「STRAIGHT」で既に描いています。

でもそれより驚いたのは何より「ピンポン」で効果的に使われていたスピード感を表現する彼独特の画法をもうこの頃使っていた所です。
普通の漫画家はバットやラケットの速いスイングを描くとき、スイングする腕に斜線等を入れて速さを表現しますが、松本大洋さんはスイングしている人物は斜線を一切いれず静止状態、そのかわりに周りのバック風景を逆に斜線で描くことで凄いスピードの瞬間をカメラシャッターで撮ったような、表現を使います。(松本大洋さんの発明した画法の一つだと思います。)

もう一点、驚く点は、この漫画が連載されていた時期、イチロー、松井はもちろんの事、野茂はおろか、マック鈴木ですらアメリカに渡っていないという事です。マック鈴木は連載当時まだ中学生ですが、蘭史郎に影響を受けてアメリカに渡ったんじゃないかと思うくらい、ちょっと怖いくらい将来の球界を予言したかのようなラストです。

蘭と対となる天草の顔はスマイルマークのようなにっこり顔で、喜怒哀楽の表現が困難だったようで、セリフを読んで「ああ、今天草は怒っているんだ。」とセリフで感情を理解するしかなかったり、画力の低さは当然ながら否めませんが、天才の片鱗は随所にあります。価値を考えたら、凄く安い買い物だったと思います。一生の宝物です。(嫁の溜息は聞こえません!)