鳳凰編、ヤマト編、太陽編

火の鳥は、過去が舞台の話と未来が舞台の話とに分けられます。それらが完結したとき全部が繋がっているという、(つまり「火の鳥現代編」で終わる。)果てしなく永い構想があったそうです。まさにライフワーク。
僕は日本史が好きだったので圧倒的に過去のお話が好きでした。いや、逆で火の鳥の影響で日本史が好きになったのかもしれないです。医学の知識も持ちながら歴史にも詳しい。加えて単なる歴史マンガではなく絶妙にフィクションを織り交ぜるストーリーテラーとしてのセンス。(今更だけど国民栄誉賞をなぜ与えなかったのでしょうか。)
奈良時代が舞台の鳳凰編で、一度火の鳥シリーズの一つの答えが出ている気がします。
奈良の大仏の建立の為の資金集めで全国を廻っていた良弁上人が、自分が単に政治のために利用されていただけだった事に気づき、自らの命を断ちます。そして即身仏となった良弁上人の亡骸をみた我王が、悟ったように叫んだ「生きる?死ぬ?それがなんだというんだ」「宇宙のなかに人生などいっさい無だ!ちっぽけなごみなのだ!」
古墳時代が舞台のヤマト編では、自分の威厳を後世に残すために、世界一大きなお墓(古墳)を造ろうとした大王が、死の直前になって、「自分のお墓を作る事。」という、誰も何も得る物のない無駄な事に人生を費やした自らの愚かさに気がつき、悔いを残しながら死んでしまいます。死の直前になって気づく、まさに「馬鹿は死ななきゃ治らない」です。
白村江の戦いから壬申の乱までを描いた太陽編は、天皇の座をめぐって大海人皇子大友皇子が争った壬申の乱に、大陸から入ってきた仏教と、日本古来の八百万(やおよろず)の神との宗教戦争を重ねたお話です。ここでの仏教の神々は侵略者であり、はっきり言って悪役です。
手塚マンガに影響受けまくっていた中高生の僕は、修学旅行の奈良京都で「奈良の大仏」を見れば政治(権力)の為に作られたくだらない代物だ(マンガの影響です。)と心の中で吐き捨て、「四天王像」を見れば、これが日本古来の八百万の神々を殺した悪の権化か!(あくまでマンガの影響です。)と、ちょっと歪んだ気持ちで寺巡りをしたのでした。
火の鳥 全13巻セット (角川文庫)

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