おねだり

僕は、「あれ買って、これ買って」と親におねだり出来ない子供でした。兄弟が多く、「うちは貧しい」という親の口癖を間に受けて遠慮していたんだと思います。上の兄は子供の頃コロコロコミックを毎月買っていたし、弟は少年ジャンプを買ってました。(勿論兄弟なんで一緒に読んでいましたが、僕から親に「買って」とは言えなかったです。)兄はゲームウォッチを持っていました、弟はスーパーファミコンを買って貰いました。僕は世代的にはファミコン(一番初期の)ブームの世代だし、ラジコンブーム、ビックリマンブームでしたが、「買って」とか「お小遣いちょうだい」がどうしても言えなかったです。
兄は、当時大人気だった「北斗の拳」「ドラゴンボール」あたりの単行本を、発売日に買ってました。僕はこのタイミングに(兄のおねだりに便乗して)マンガを買ってもらってました。
僕が買ってもらっていたのは、迷わず「火の鳥」シリーズでした。(途中から自分のお小遣いでシリーズを買い揃えて、その後も「ばるぼら」「MW」「陽だまりの樹」「シュマリ」「ブッダ」と手塚作品を二十歳くらいまで買い続けました。)
手塚マンガは、人の「死」を極めてリアルに、そして主人公の「死」をあまりにあっけなく描いていて、そういった所が当時の流行りのマンガにはありませんでした。戦中育ちの手塚先生だから「人の死」をたくさん身近に見てきたのでしょう。トキワ荘世代以降のマンガ家には描けない「死」に対する残酷なまでのリアリティが手塚マンガにはあると思います。
当時の少年マンガといえば「修行すればしただけ強くなる」とか「神様に頼めば簡単に生き返る」とか「やたらトーナメント式の異種格闘技大会があったり」とか「強敵をやっと倒したと思ってたら、その強敵を遥かに凌ぐ強敵が現れて、」「前まで敵だったのが、一時的に一緒にその強敵に立ち向かい、」「敵同士だった二人が戦いの中で、友情が芽生える」…。このエンドレススパイラル。…ああ嫌い、こういうマンガ。
手塚治虫 「ばるぼら

ばるぼら (上) (角川文庫)

ばるぼら (上) (角川文庫)

ばるぼら (下) (角川文庫)

ばるぼら (下) (角川文庫)