ケニーランキン

Kenny Rankin - Bottome Line Encore Collection

Bottome Line Encore Collection

Bottome Line Encore Collection

実家を出て18年になります。高校卒業と同時に出たので、もう人生の半分以上がたった事になります。その上最近は、実家からかなり離れた場所に住んでいる事と、多忙な日々に追われ、ほとんど実家に帰れていません。
実家を早く出たいと、高校生の頃から(いや、中学生かな?)ずっと思っていました。別に親が嫌いとかではなくて、要は吉幾三じゃないですが、「オラこんな村イヤだ。」っていう気持ちが強かったんだと思います。
引越しが割と多い少年時代だったので、地元の方言がまず嫌でした。(親、兄弟も方言でしゃべるのに僕は常に誰に対しても標準語で喋っていました。)
心のどこかで地元の友達に対しても、田舎くさいなあと思っていた様にも思います。田舎特有の(いや、日本特有かな?)閉鎖性が嫌で、ここにずっといたら自分は腐ってしまう、自分の色んなアートな才能(絵とか音楽。)はここを離れた時に初めて花開くんだと、本気で思っていました。(実際、離れてみて気持ちは楽になったけど、田舎暮らしを言い訳にしていただけで、元々たいして才能なんてない自分に気づかされる事になりましたが。)
それから、正月とかに実家に帰っても、親との会話は少なく、ずっと思春期を引きずっているというか、実家に帰ると思春期にまた戻ってしまう日々が続きました。

去年、こんな出来事がありました。嫁が病気で1ヶ月程入院する事になり、母親が急遽僕の家に家事をしに来ることになりました。ここ数十年ほとんど会話のない母親と2人暮らしです。えらいこっちゃ、大事件です。
一体どうなることかと不安でしたが、一緒に嫁の見舞いに行くなかで、長年のわだかまりも、徐々に解けていきました。一緒に映画を観たり、舞台を観たり、母親も都会暮らしを満喫した様でした。
そして何より母親をすごいと感じた事は、見舞いに行くと嫁だけでなく、その病室の患者さん全員を明るい気持ちにさせる、明るいパワーと天然のキャラクターでした。そんな母親を誇らしく感じると同時に、対する自分の器の小ささも痛感させられました。

その母親が、実家に戻る直前のある日、僕の車で嫁の病院へ行く途中のカーステから流れたのが、ケニーランキンでした。i-Podでシャッフルで流していたので偶然だったんですが、母親は、「この人の歌はパラリラパラリラいって面白いねえ。」と、ケニーランキンのスキャットが気に入ったみたいでした。僕はi-Podに全曲入っているので、そのCDを実家に戻る母親にあげました。母親との距離も縮まった気がしました。

そのケニーランキンは、09年に癌で他界。AORブームに乗って売れた人ですが、ブラジル音楽やジャズなどに影響を受けた多彩な作風で、ビートルズを多くカヴァーしてますが、どれもオリジナルに負けない彼にしか出せない味のあるカヴァーになっています。ギターと自分の声だけで勝負が出来る羨ましすぎる才能の持ち主で、晩年の演奏も素敵だっただけにもっと活動してほしかったです。非常に惜しまれます。
Kenny Rankin: Haven't We Met

Kenny Rankin: Blackbird

Kenny Rankin: With A Little Help From My Friends/ Haven't We Met