SNOOZERの特集「98年の世代」

僕は、タナソウこと田中宗一郎が編集長だった音楽誌「SNOOZER」を創刊時から購読していました。(20008年に休刊。)タナソウの熱意と人間味に溢れたいい音楽誌でした。
その「SNOOZER」が2002年の4月号で「98年の世代」と言う特集がありました。その特集で取り上げられたアーティストが、くるりナンバーガールスーパーカー中村一義の4組。
当時(2002)、新作をリリースた4組のデビューが98年だった事から「SNOOZER」誌が4組を「98年の世代」と名付けました。プロ野球の世界でも「松坂世代」とか「マー君世代」とかよく言いますが、それに先駆けた括りでした。
当時、僕はこの4組に特別なシンパシーを感じていたので、この括りになるほどと納得したものです。僕も彼らと同世代で、思春期は彼らのように洋楽しか聴いていなかったし、タナソウ曰く彼らは、(増井脩編集長時代の)ロッキング・オン読者だったらしく、その点も僕もまったく同じでした。(タナソウは増井編集長時代にロッキング・オンを退社。)あと、「SNOOZER」によくインタビューが載っていたというのも4組の共通点…。
この「98年の世代」の登場によって日本のロック(当時はまだロックという言葉に恥ずかしい、カッコ悪い感覚は僕にはまだ無かった…と思う。)が変わったという感覚を、僕も読者の一人として共有していました。
で、今日このブログでこの「98年の世代」事を振り返って書こうと思い、記事を読み返したのですが、「本当にこの4組の登場でシーンがどうかわったのか?」を具体的に説明ができない現在の自分がいました。
彼らは、例えばストーンズ、ボウイ(歌い方がボウイのフォロワーが特に日本のバンドに多い(嫌)。)ツェッペリンあたりの影響が露骨に出ていた、ビジュアル系も含む「ロックスター系バンド」、フリッパーズが代表格の音楽だけでなくファッションもおしゃれで個性的だった「渋谷系バンド」。それから「イカ天」「ホコ天」出身バンド。…書き出せばキリがないですが、90年代初頭に溢れていたこれらのバンドとは明らかに違ったのです。
彼ら「98年の世代」も僕自身もこれらの邦楽バンドの全盛時代には洋楽に被れていた訳ですから、4組が90sの邦楽バンドに影響を受けてないのは当然な訳で…。うーん…。「98年の世代」とは何かを、うまく説得力ある説明が出来ない…。
SNOOZER」誌の常連で、当時まだセールス面で結果を出せていないけど、彼らのインタビュー内容は受け答えが面白かった…んですが、これも説得力に欠けるか…。
オリコンなどのチャートを意識しなくて、洋楽の流行りを追いかけなくなったのが「98年の世代」からだったというのはどうでしょうか。フリッパーズはチャートを意味がないと否定していたように思うのですが、否定しているという事は意識していると言う事でもありますから、ここには「98年の世代」との大きな違いがあると思います。