世の中がビートルズに夢中な頃

「世の中がビートルズに夢中な頃、ビートルズビーチボーイズに夢中だった。」という名言があります。誰が言ったか定かでは無いですが、(ビーチボーイズの過去のアルバムの再リリース時のキャッチコピーだったか、「ペット・サウンズセッションズ」の発売時のキャッチコピーだったかな?)これぞまさに的確にビーチボーイズの(リーダーブライアンの)凄さを的確に言い表した名コピーだと思います。
ビートルズの出現、全米デビューに驚異を覚え、ライバルだと感じた天才ブライアンウィルソン。(他のメンバーは、ほぼビートルズに無関心、最年少のカールウィルソンはあろう事か、敵であるビートルズの大ファンになりました。)
ビートルズの「ラバーソウル」に触発されて「ペットサウンズ」を作り、それに触発されたビートルズは「リボルバー」さらには「サージェントペパーズ」を作る。そしてビーチボーイズのブライアンは「スマイル」に着手する。ロック、ポップスが物凄いスピードで進化したのは、この2バンドのこの有名な切磋琢磨のもたらしたものだと言って間違いないでしょう。
昨年デビュー50周年(!)を迎えたビーチボーイズと”孤高のリーダー”のブライアンウィルソンを、世間は(特にアメリカ国民は、)もっと評価するべきだと思います。孤高のリーダーとあえて書いたのは、ライバルのビートルズにはジョンがいてポールがいて、若いジョージもソングライティングに参加し始める。さらにはプロデューサーのジョージマーティンまでいたのに対して、ビーチボーイズは、ビートルズにおけるジョン&ポールとジョージマーティンの役割をブライアンがたったひとりで担っていたのです。ホントに凄い人なのです!

日本におけるビーチボーイズファンの第一人者は、山下達郎さんで間違いないと思います。(彼のデビューのきっかけはビーチボーイズの「Girls On The Beach」の完コピを、自主制作したものを喫茶店で流してもらっていたのを、たまたま喫茶店に入った伊藤銀次さんと大滝詠一さんの耳にとまったのがきっかけだそうです。)
山下さんのちょっと下ですが、ほぼ同世代のみうらじゅんさんが、とある番組で、どうもビーチボーイズはお行儀のいいお利口さんバンドっていうイメージがあって(ロックの持つ不良性が感じられなく、)当時から好きになれなかったというような事を言っていました。(デビュー時の揃いのストライプシャツが嫌だったとも。)同じく同世代の浦沢直樹さんの「20世紀少年」にも、ビートルズやジミヘン、ジャニス、クリーム、TレックスCCR等の名前は出てもビーチボーイズは出てきません。山下さん自身も振り返って言っていますが、当時ビーチボーイズをコピーするアマチュアバンドなんて、相当変わり者で他のアマチュアバンドに馬鹿にされたと。当時の日本におけるビーチボーイズの評価はそんな物だったのでしょう。
その後、その山下さんや萩原健太さん辺りのコアなビーチボーイズマニアの熱心な働きかけで、当時正当に評価されなかった(特に日本では話題にもならなかった。)「ペットサウンズ」が世紀の名盤だと、発売から四半世紀を経てようやく認知されました。
僕がビーチボーイズを聴き始めたのも、ちょうどこの時期、中高生の頃でした。ただ、僕のようにこの頃から後追いで聴き始めたビーチボーイズファンは、山下さんたちの熱心なプッシュの功罪の為、陥りやすかった考え方が、「ペット・サウンズ」は名盤だけど、それ以前の作品はサーフィン、ホットロッド(改造車)の歌ばかりで代わり映えしないので、ベスト盤を一枚持っていればいいという間違った思い込みでした。(未だにそう思っている方が、多いのではないでしょうか?
(下に続く。)

ビーチボーイズ 「ペット・サウンズ」

ペット・サウンズ

ペット・サウンズ

僕も、「ペット・サウンズ」名盤論をそのまま間に受けた一人で、ビーチボーイズは「ペット・サウンズ」「スマイリースマイル」と海賊盤的なベスト盤だけしか持ってないまま、しばらくビーチボーイズを判った気でいました。(ブライアンのソロは買ってましたが。)
ある時僕が、20代半ばの頃、ビーチボーイズの旧作が再発されたので、試しに買ってみた「サマーデイズ」の1曲目「The Girl From New York City」に衝撃を受けたのが僕の第2の(本当の)ビーチボーイズブームの始まりでした。僕のベスト盤に無い曲なのに凄まじいクオリティ!立て続けに「トゥデイ」「オールサマーロング」「シャットダウンvol,2」辺りを大人買い。はまり道の始まり。

ビーチボーイズ 「サマーデイズ

サマー・デイズ

サマー・デイズ