「そして父になる」を観る

そして父になる(映画ノベライズ)

そして父になる【映画ノベライズ】 (宝島社文庫)

そして父になる【映画ノベライズ】 (宝島社文庫)

子供の取り違えによって、血の繋がらない子供を自分の子供と思って6年育ててきた親子2組が、真実を知って悩み葛藤するお話。「生みの親」か「育ての親」か、「血の繋がり」か「6年間の親子としての繋がり」か。大人に振り回される子供たち。

カンヌで審査員賞を受賞して、その審査員だったスピルバーグが、4か月たった今でも感動が止まらないと、ハリウッドでリメイクも決定したようで、それによって多くの人にこのお話を観てもらえる事は良い事だと思います。(僕は基本ハリウッド嫌いなので、クオリティで是枝監督作品を上回りはしないと思いますが。)

映画のスジから話は逸れますが、映画を観て「父になる」事、「親になる事」についていろいろ考えさせられました。僕は既婚者ですが子供はいません。

「ヒト」、に限らず「生き物」すべて、産んでくれた親がいて、更にはその親を産んだ親、更にさかのぼれば延々とどの時代にも自分のご先祖様が生きていて、自分はその繋がってきた「血」の最端だという事に、自分が今の時代のここにいる事自体が奇跡に思えます。血の繋がりなんて言うと「皇族」とか「歌舞伎」の世界なんかをイメージしがちですが、生物は誰しも先祖が途切れることなく繋がって今に至っています。

僕は子供の頃に、手塚治虫の「火の鳥」を繰り返し読んで感銘を受けまくって育ったので、そういった縦の先祖から未来の子孫につながる自分は架け橋なんだという気持ちが、人一倍強いのかもしれないです。

子孫を残すという事は、体内のDNAが脳に指令を送っているのだそうです。生き物はすべてDNAの「乗り物」みたいなもので、DNAの指示で、恋愛したり、ナンパしたり、結婚したり、性行為をしているらしいと。すべてはDNAが次の「乗り物」を作るため脳に「今、口説け。」だの「チューしろ!」だの指示を送っているのだそうです。(まったく理系の頭がないのでちょっとニュアンスが違うかもしれないですが。)

シャケが激流の川を登って、上流で受精をして死んでゆく様なんて、その事だけが生きる目的の全てという強い使命感を感じます。感動すら覚えます。アメリカの農地なんかでよくあるイナゴの大量発生なんかも子孫を絶やさない為のDNAの強さを感じます。一寸先は全滅という危機感もあるのでしょう。

「ヒト」はどうかというと、途上国は出生率が高く、日本を含む先進国は低いです。理由は、途上国は産後から幼少期までの死亡率が高い事とか、日本は晩婚化や、女性の社会進出で育児の両立が難しかったりだとか、政府の少子化対策が甘いとか、さまざまあるでしょうが、根底の理由は「日本人のDNAが弱っている」事の様な気がします。

「親になる」という事についてよく考えます。僕は年齢的に「子供」ではなく充分に「大人」ですが、いつから「大人」なったのかを考えると、20歳の誕生日?成人式?就職?…。いや、まだ僕は、「大人」になっていないような気がします。僕は「人の親」になっていないから。
なら「親」になったら「大人」かというと、必ずしもそうではないとも思います。ただ「子供」の存在によって「大人」になるという事はあるような気がします。(映画の中の福山雅治の役がそうであったように。)

世の中には、物理的に子供を授かれなかった夫婦もいます。授からなかったから、2人で2人の幸せのために生きていくという選択をする夫婦もいます。考え方は人それぞれですが、でもその夫婦だって育ての親にはなれます。横の繋がりも当然大事ですが、縦の(未来への)たすき渡しは、使命というと大げさですが、大事な事だと僕は思うのです。

「子供を育てる自信がない。」…当たり前です。僕だって育てた事ないから。何より「子供」の存在によって逆に「大人」も「大人」として成長しているのだという事を知るべきだと思います。

まとまりのない文章になってしまいました。そもそも映画の感想がそっちのけになりましたが、最近思う事を書きたくなって書きました。気が向いたら、続きというかもっとまとまった文を書こうと思います。