耳グルメの弊害

この前、小林克也さんのベストヒットUSAのゲストにレディオヘッドのプロデューサー等で有名なナイジェルゴドリッチが出ていました。その中でデヴィッドボウイの話になって、克也さんが「ベルリン三部作」とか好きなの?と尋ねると、ナイジェルは「いいや、あの頃のボウイは好きじゃないんだ。」「じゃあ、「ヤングアメリカンズ」の頃は?」「いや、その頃のボウイより80’sの「Let's Dance」の頃が、好きなんだ。」というやり取りがありました。
僕にはちょっと衝撃でした。というのも僕ぐらいの世代で洋楽にはまった人は、60’s〜70’sに洋楽を聴いていた世代がライターになって活躍していた頃で、その人たちがボウイを特集すると「グラム期の傑作「ジギー・スターダスト」があり、「ベルリン三部作」が有りと、作品ごとに自身のキャラクターや作風を変えていったが、80’sに入るとメジャーシーンに取り込まれていって、(セールス面は良くなったけど、)クオリティは落ちた。」「80’sはボウイにとってダメな時代。」という紹介がほとんどでした。
僕もその特集を読みながら当時「そうか、Let's Dance」はダメな作品なのか。」間に受けてしまった一人なわけですが、このナイジェルの一言で、ボウイを初期から応援していたファンにとって80’sのボウイ作品は落胆するものだったというだけで、ダメな作品という事ではないと気づかされました。

僕のフェイバリットバンドのビーチボーイズの世紀の名盤「ペット・サウンズ」も発売当初は、思うような評価を受けられなかったのは有名です。(当時タイムリーに聴いていた山下達郎さんも、当時はよく解らなかったとインタビューで答えていますし、当時のファンクラブ会報も、若者のロックから大人の音楽になったと、否定はせずとも賞賛もできずな感じで困惑していたみたいです。)
「ペット・サウンズ」と「Let's Dance」が同等のクオリティだとは思っていません、念のため。

それは、タイムリーに聴いてきた人と、後聴きでまとめて聴いた人との違いだったり、時代とともに当時評価されなかった作品が再評価されたりという事があるんだと思います。それ以上に音楽シーンが多様化したことで一般リスナーの耳が肥えてきた(耳グルメ)とも言えないでしょうか。耳が肥えるという事はいい反面、何を聴いても感動が薄れてしまう弊害があるような気もします。

例えば、プレスリーの腰振りアクションを卑猥だと目を背ける大人や、ビートルズの音楽に「やかましいだけ」「不良の音楽」と耳を塞いだ当時の大人、パンクスを「モラルに欠ける」と否定する大人等、新世代を否定する旧世代いなくなったなと感じます。どんなヘンテコな音楽でも、なるほど面白いと(好き嫌いは別にして)容認できてしまうのは、音楽のパターンが出尽くしてしまったからとはいえ、ちょっと残念な事だなと思います。僕も大人の立場で若者の聴く音楽に耳を塞ぐ体験をしてみたかったし、逆に大人が否定する音楽を「これが僕らの世代の音楽だ。」と聴いてみたかったです。グランジシューゲイザーにはそこまで、世代を分断するインパクトはなかったと思います。