初期本秀康のヘタウマ感は、果たして計算か天然か?

今や押しも押されぬ売れっ子イラストレーターの本さんですが、デビュー前後の絵のデッサン力とか全くない中学生男子の机の落書きレベルの画風(蛭子さん直系のいかにも[ガロ」チックとも言えますが。)は、その後のロック画報の表紙や各アーティストのジャケット作品等を見ると、「ガロ」という特異な雑誌で受け入れてもらう為の戦略だったのではと、勘ぐってしまいます。(本当は新人当時から上手に描ける人だった疑惑。)

こっちが初期の本秀康
「パーティ大好き」

で、こっちがメチャクチャ絵がうまい今の本秀康


同じ作者の絵とは思えない。そもそもマンガ家を目指すくらいの人だから、初めから絵を描くのが好きだったり、もともと絵心があるのは当然でしょう。でもこれだけの絵が描ける方が「パーティ大好き」の失笑ヘタウマギャグマンガでデビューした事は計算高い戦略だと言えば聞こえは悪いけど、もし僕に今のあの絵を描ける才能があって、絵で食べて行こうと思ったら、「ガロ」に持ち込むでしょうか?と考えると、本秀康やっぱりスゴイ人です。
「絵の才能は」若い頃から天才。でも「ガロ」に持ち込む所は天然、といったところでしょうか?(いや、「ガロ」を選んだのもある意味天才的なのかも。)「ガロ」から原稿料ってほとんど無かったらしいし。